ごめんN-VANの話ではない
デザイン部門のトップがあまりにもストイックすぎるってのもあるかもしれない。マツダ、ジャガー、アストンマーティン、ボルボといった旧フォードグループに見られる特有の現象なのか、全てのラインナップのデザインに「スマートさ」を求める傾向にあるようだ。前回の投稿でボロクソに書かせていただいた渡辺陽一郎の「マツダ批判」は、前田育男氏による他のメーカーから見れば潔癖症が疑われるレベルの仕事ぶりを揶揄したかっただけなのかもしれない。
マツダデザインの妙味
前田育男氏がその著書で、前任者批判とも取れる、「とにかく嫌い」ってことが伝わってくるニュアンスで書いていた、ローレンス=ヴェンデンアッカー。このオランダ人のフィルターを介して日本の伝統的情景をカリカチュアライズし、ただただおぞましい『狂気』が詰まった『歴史的デザイン』に仕上がったビアンテ。そこで見られるような「芸術的」なタッチあるいはある種のアヴァンギャルドさや、RX-8やベリーサに見られたクールジャパン的な「ゆるさ」があってこそ、日本メーカーという『庶民的な暖簾』にふさわしいってってことなんだろう。前田さんもそんな完全なる『外様な意見』に悩んできたと著書で書いている。まあとにかくジジイライターほどマツダのデコレーションをやたらとアジるレビューが好きだからな・・・。
秘術
100年を超える自動車の歴史の中で、おそらく最も多くのデザイナーに影響を与えたであろう『ジャガーEタイプ』が出現してから、洋の東西を問わずカーデザインは、絶えず『狂気』と隣り合わせの仕事であったと思う。もちろんそのプロセスは簡単には伺い知ることはできないけども、想像を絶する激務であることはその『作品』から読み取れる。『魑魅魍魎の宿る秘術』に取り憑かれた天才達・・・ジョルジェット=ジウジアーロ(イタルデザイン)、イアン=カラム(アストンマーティン、ジャガー)、和田智(日産、アウディ)、奥山清行(ピニンファリーナ)、永島譲二(BMW)がいて、彼らの後ろに多くの人々が「鑑賞する喜び」「所有する喜び」を楽しんでいる。
歴史
渡辺陽一郎に対して強烈な嫌悪を感じるのは、カーメディアの当事者として、自動車を楽しむファクターとしての「デザイン」の意味を十分に理解していないと見受けられるから、そして『世界の全て』のメーカーの中で最も多くの『狂気』を生み出してきたメーカーこそが・・・MAZDAだという事実を理解していないからだ。ジウジアーロとそのビジネスパートナーの宮川秀之が、この「魑魅魍魎」の価値に気がつきイタルデザインを創業を決意する前のベルトーネ時代の1958年にすでにMAZDAと接触を持っていて1963年にベルトーネデザインのルーチェが発売される。マツダは創業と同時の黎明期にすでに「世界最高のデザインブランド」であることを志向していた。渡辺陽一郎にしても前述のMAZDAデザインを批判したがるジジイも、そもそもMAZDAの仕事を「自分の言葉」で否定するに足る素養が身についていないままに、ノリで軽い発言をする。あくまでその「知性の欠如」に対してこのブログで抗議の意を示しているだけだ・・・ご了承を。
偏見を超えていく
1980年代はポルシェやフェラーリにそっくりのスポーツカーを作っていたMAZDAが、1980年代の終わりごろから、完全に世界をリードする存在になった。俣野努、荒川健、ローレンス=ヴァンデンアッカー、前田育男・・・他にも優秀なデザイナーはたくさんいて、中にはヴァンデンアッカーとともにルノーに移籍して、いよいよファーストエディションが発売された新型アルピーヌA110のエクステリア全般を任せられた日本人デザイナーなんかもいる。あのゴジラ顔は間違いなく日本人の仕事だよな・・・あまり好きではないが。前田さんを差し置いて2016年に日本車として初のWCOTYデザイン賞に輝いたロードスターのデザイナー・中山雅は時の人になった。本来は2008年の「三代目デミオ」で前田さんが受賞するはずだった。あのデザインは欧州そのものを完全に刷新したから。日本車に対する偏見もあったのだろう。2008年、2013年(GJアテンザ)の実績があって「3度目の正直」の2016年だったと思う。そんな外部の評価はともかく、世界的に名前が知られていて、世界で認められた代表作デザインを複数持つ、天才デザイナー4人が支えてきたこの30年余りのMAZDAのカーデザインにおける実績は、文句なしで「世界最高」だと客観的に認識できるレベルにあると思う。
東洋のジャガー
渡辺陽一郎だけが悪いわけではなく、MAZDAに対する認識不足でレビューを書くのに著しい問題が生じていることを疑われる自動車ライターは他にもたくさんいる。そもそも自動車好きを「自称」して、「日本車はカッコ悪いから買わない」と公言するオッサンにとっても、まさか少なくとも30年前から『MAZDAが世界最高のデザインメーカー』という認識はないのかもしれない。「東洋のジャガー」というMAZDAへの賛辞を正確に翻訳してこなかった日本のカーメディアの「恥部」。それを渡辺陽一郎の発言は「象徴」してしまっている。デザインへの傾倒が強すぎて「怪物化」すら進んでいるジャガーとマツダ。50年ずっと緩むことなく問い続けてきたのだから、そりゃスゲーですよ。どちらもバブル期にはポルシェ、フェラーリをデザインで「論破」していますから。
国沢も渡辺も引退しろ!!
国沢光宏も渡辺陽一郎も、もはや身動き取れないくらいの「デザイン」のセルフイメージに囚われた怪物ブランドに対して、今更に「N-VAN」みたいなクルマを作れって言っているようだ。よくもそんな無粋なこと言えるよな・・・と憤りを覚える。少しくらいはマツダ歩み、マツダのポリシーを「汲んで」やれよって言いたい。前田育男さんがわざわざ新書を書いて主張したいことは、自分の仕事のアピールではなく、ただただちょっとくらいは「わきまえてくれ」ってことなんだと思う。別にMAZDAデザインはすごいから無理に理解しろっていうのではなくて、カーメディアとしてMAZDAを伝える立場ならば、MAZDAのこれまでの歩みが世界の他のメーカーとどれだけ著しく違うのか、少なくともそれくらいは「わきまえてくれ」、それを堂々と言えるだけのことをマツダはやってきましたよ!!ってことなんだろう。怒りは十分に伝わってくるし、カーメディアの取材に常に仏頂面で心をガードを全く外さないの前田さんの対応にも合点が行く。取材を受けながら内心は「ウゼーなコイツら」って思っているのだろう。
狂気
世界には「狂気」に満ちたデザインであることを感じられるクルマだけが欲しい!!所有したい!!というユーザーもたくさんいる。デザイナーの苦闘の跡がなければクルマに価値はない・・・そんなユーザーがマツダファンになるのだと思う。そしてそれは決して少数派ではないと思う。ジャガーとマツダはどちらも決して経営基盤が強いメーカーではないが、どちらも世界から絶対に無くなってはいけない!!と思う人がたくさんいたから、21世紀になっても生き続けているのだろうし、この両者がトヨタやVWのような「玉石混交」なデザインのラインナップを展開したならば、WCOTYデザイン賞などでその他のメーカーの追従を全く許さない『狂気』(2013ジャガーFタイプ、2016ロードスター、2017Fペース)は生まれないと思う。
カッコいいではない・・・ヤバいだ
マツダとジャガーは半世紀にわたってデザインにプライオリティを込めていた。2000年ごろから「スカした」感じにイメチェンしたアウディみたいなニワカブランドとは、はっきり言って「拗らせ方」が全然違う(アウディは和田がいないと何もできない!?)。アウディよりマツダやジャガーが優れているという話ではない。マツダ車やジャガー車の突っ張ったデザインを見ていると、ふと中島敦の「山月記」を思い出す。マツダもジャガーも働いている人の多くは大企業に勤める健全なサラリーマンだろうけども、クルマの設計にイニシアチブを持つ前田さんのような一部の人々は・・・「虎になった李徴」なんじゃないか。いや否定的な意味ではないです・・・そんな鬼気迫るものを感じるからこそ、自分はマツダに関するブログを書いているんだと思う。レクサス、メルセデス、BMW、アルファロメオなどではそんな気持ちはまったく起こらないから。
世界のカーデザインは支配されている
2つのデザインモンスターを同じ経営グループに統合したのがフォードですけども、アストンマーティンはバブル期のトヨタデザインをパクって今のスタイルをとってるし、ボルボはフォード期を通過して全てが垢抜けた。2010年前後に解き放たれた旧フォード系ブランド(マツダ、ジャガー、アストンマーティン、ランドローバー)は、2011年以降の8回のWCOTYデザイン賞のうち6回を制していて、旧フォード系の話題の新型モデルが出てきたら他のブランドにはほぼ勝ち目はない状況!?
恥を知れ!!
結局のところファンは、『健全経営のマツダ』ではなく『孤高の存在としてのマツダ』に期待しているし、「魁コンセプト」も「RX-VISION」も「ヴィジョンクーペ」も、期待通りの「病的」な美しさを感じた。まさしく「虎」のような存在感だ。「マツダのクルマはこうあるべきだ」・・・は守り続けるしかないと内部の人も思っているのだろう(半世紀にわたる方針を変えたらすぐに崩壊するかもよ)。欧州車ばかりに注目してきたジジイがマツダ車を見ても「欧州の真似をしている」としか感じられないのは仕方がないことかもしれない。しかしそれらの短絡的な言動に心を痛めている前田育男さんの叫びを聞いてあげる(仕事を理解できる)だけの知性が、今の日本にはもはやないのだとしたら、それはとても恥ずかしいことだと思う。そのことを渡辺陽一郎と同レベルの認識しかない連中には謹んで申し上げたい。