マツダやスバルのようにブランド単位で愛される中堅メーカーが存在する国はそれほど多くありません、例を挙げればドイツやイギリス、イタリア、フランスといった欧州の一流国ばかりです。これらの国に日本が肩を並べているのは、トヨタ・日産・ホンダのビッグ3の存在があって日本の自動車作りが十分に認知されているからでありますが、マツダやスバルは世界的に競争力がある名の通ったメーカーとしてはその生産台数は世界でもミニマムと言えます(増加傾向ではありますが)。
世界販売100万台以下でこれだけの知名度を誇るスバルは、プレミアムブランド以外のメーカーとしてはとても珍しい存在です。スバルは以前から他社と比べ高性能だけど割高なクルマ造りに徹してきたので、生産台数が大きく伸びる事はなく推移しました。しかし最近ではスバルのクオリティと価格が高性能車のスタンダードになっていて、北米を中心にブランド価値が急上昇しています。
スバルは通常モデルとは別の限定モデルのスポーツカー販売が大きな個性になっていて、大量生産・カタログ販売が常識になってしまっている現代のクルマ造りが無くしつつある、クルマを所有する喜びを強く意識したメーカーでもあります。高性能な限定のスポーツチューンモデルを300~500程度のロットでしかも400万円程度のお手頃価格で毎年のように発売していています。これらのモデルの中古車価格は非常に高く維持されるので、実質的に200万円台のクルマと負担感は一緒というメリットもあります。
マツダはスバルとはまた違った存在感を放っています。GT-R開発者の水野さんがニスモの監督としてレース活動を始めるときに、すでにグループCに存在した強敵として、トヨタ・マツダ・ポルシェ・ジャガーといった面々を挙げていますが、その頃からレースの強豪メーカーとして世界の超高級ブランドと肩を並べる存在でした。往年のモーターファンにとっては格別の存在でしたが、一般の人からしたらやや地味な存在で、年配の人にはマツダに対して著しく低いブランドイメージを持つ人も多いようです。
グループCは1992年に消滅しているので、当時からの熱心なマツダファンは一般的には現在40代後半から上の世代ということになります。当時はルマン24時間の優勝などマツダのスポーツ活動が幾多の金字塔を打ち立てた時期であり、モータースポーツファンの多くがマツダに傾倒したようです。
その後、マツダはバブル期の経営失敗を経て、自主再建を断念しフォード傘下として再生の道を選びました。1999年頃にはマツダの業績はまったく振るわなかったのですが、この頃にヒットした漫画の影響もあり、マツダRX-7FD3Sが伝説的スポーツカーとして絶大な人気を見せ始め、2002年に絶頂の中で生産を終えるという劇的な幕切れを見せ、中古車価格は大いに高騰しました。スポーツカーの代名詞として、一般にも広く知られる存在になり、「世界最高のコーナリングマシン」として若者の意識にも強く刻まれました。
このイニシャルD世代が今の30歳以上の世代に当たるでしょうか。この漫画ではマツダだけでなく、トヨタやスバルのスポーツカーも愛すべき名車として描かれ、三菱ランエボや日産スカイラインGT-Rは世界最速レベルのスポーツカーとして登場しました。RX-7はともかく登場する多くのクルマは専用設計のスポーツカーではなく改造乗用車であり、今考えると特段に優れた走行性能を有するわけでは決してなかったのですが、現在のクルマよりも当時のクルマの方が高性能だと信じているファンもかなり多いようです。
この漫画が作ったプロパガンダと言うべき、各スポーツカーへのイメージは、時に上の世代のモーターファンから痛烈な批判が与えられました。そしてその矛先はまだまだ初心者と言える30歳くらいの若い世代のクルマファンへも容赦なく向けらています。実際に50歳くらいのジャーナリストの解説書をヒモ解けば「AE86の神話化。ゲームや理屈でクルマを分かったつもりになっているお客。・・・」といった下の世代を完全にバカにしきった表現が堂々と行われたりします。
誰の目にもこのジャーナリストが若い世代と新時代のスポーツカーの設計について、文句を言いたくてうずうずしている様子がよくわかります。まあスポーツカーをシュミレーターの如きゲームでしか体感したことない世代を軽蔑したい気持ちも分からないでもないです。しかし初心者と言える30代のクルマユーザーからしてみたら、サーキットにおける限界走行域での評価が、日常のクルマの評価にどう結びつくのか?という根本的な疑問があったりします。
年配のジャーナリストが不思議と重視したがるサーキットでの性能ってそんなに大事なのでしょうか? 正直に言って毎年50人程度のテストドライバーが命を落とすと言われる、ニュルブルックリンクでの限界走行をさも当然のように経験しましたといわんばかりの口調で、高性能スポーツカーを語るジャーナリストの意義が分からないのです。「自慢のフェラーリをニュルに持っていって8分以内に回ってから吠えろ!」って気がしてしまうのです。
50歳代と30歳代のクルマへの認識は果たして分かり合えているのでしょうか? どちらも同じマツダ車を愛するファンとして同じ価値観を共有できているのか? 上の世代のジャーナリストがマツダを語るときにみせる愛憎入り交じった複雑な感情をどういうテンションで解せばよいのか? なんでポルシェやジャガーを語るような切り口にはならないのか? そんなことが気になってしまう若いマツダファンは多いのではないでしょうか。
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